晴れ☼びより

介護や介護に関連する医療について綴るブログです。

介護と帰宅願望と退所検討

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「家に帰りたい」と訴える利用者は、退所か?それとも継続か?

入所者も増え居室も満床となり「まだ入所の順番は来ないのでしょうか?」という問い合わせがあるようになってきました。

 数年前には、職員の入れ替わりもあったが、ひより食堂やゴミ拾い活動、更には駐車場の整備などに取り組み、施設関係者のすそ野は広がってきました。

 

今年の1月に1人の入所者が体調を崩し、退所しました。

 

そこで、1月13日に待機者の中から妙子さん(女性・86歳/要介護3)という方に入所してもらうことになりました。


入所した数日は、夜も眠らず頻繁に起きては施設内を歩いていました。

 

家族(娘)さんは、木造の平屋で目の前には畑があり、静かな落ち着ける場所なので、「是非ここで楽しく暮らしてほしい」と話していました。

 

ところが入所して3ヵ月が経つ頃、妙子さんの様子は、大変痛々しく見えました。

 

「家に帰りたい」と言って施設内を毎日歩く妙子さんは、足元がふらつき、転倒する危険性が出てきました。もちろん家族との相談は、してきました。

 

そして、心配していたことが起こってしまいました。

 

4月12日テレビの前で転倒し、かけていた眼鏡のレンズが割れ、目の周辺が少し傷になってしまいました。

 

そこで、骨折予防の為に家族と相談の上、常時クッションパンツを履いてもらうことになりました。

 

4月17日 自室のモップがけをしていて再び転倒。

 

4月21日 家族対応で精神科受診した時から処方薬の種類と服薬時間が変更になりました。

 

4月23日 食後に洗ったお盆を乾いたタオルで拭いてもらっている最中に、左側に倒れてしまい、左の額にたんこぶができてしまいました。

 

5月1日 トイレの前で転倒し唇を切って、縫合することになりました。

 

5月10日 以前のたんこぶが治りかけていた頃に外へ出ようとして、窓ガラスに同じところをぶつけてしまいました。

 

家族とすれば、専門のスタッフに見守られながら楽しく暮らしてくれることの期待が大きかっただけに、ガッカリした様子でした。また、このような状況になると、職員から言われた不快に思える言葉の幾つかが気になっているようでもありました。

 

職員の考え方が二つに分かれる


この様子から職員の考え方が二つに分かれてきました。


 一つは、職員が1人ついていなければならない状況なので、これでは、記録やお金の管理などの事務の仕事が出来ない。夜勤者もセンサーの使用をして、転倒を未然に防ごうとしているが夜が1人では他の入所者の介助中には対応できない場合がある。これでは、夜勤者が休む時間も取れないので退所してもらおうという主張です。


 もう一つは今、退所してもらえば職員の負担が少なくなるが、妙子さんはまた慣れない環境で混乱することになる。家族も入所の宛はないし「入院すれば、今の悪い症状だけが改善されて帰れるようになるとは限らないと先生から言われているし、鍵のかかる部屋に入れられるのはかわいそうなので、ここで看て欲しい」と言っているので、このまま継続して早くここに慣れてもらおうという主張です。


どちらも、もっともな意見に思えます。しかし僕は、この2つの意見を調整しなければならないのでした。

 

そこで、いつの間にか転んでしまう仕組みを下図のように整理してみました。

 

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妙子さんの様子に変化


入院するにしても退所するにしても次の行き先が決まるまでは、このまま入所していられることを家族には伝えました。

 

それから数日後、薬の調整の効果が出てきたのでしょうか。妙子さんの様子に変化が見えてきました。夜は、8時間寝てくれて話もたくさんするようになりました。そして、歩行もしっかりしてきたことで転倒する危険も少なくなってきました。

 

ただ、まだ不穏になってしまう時もあります。

 

家族には落ち着くまでの間、1週間に一度、面会や外出をしてもらえるよう協力のお願いをしたところ、うなづいてくれました。

 

おわりに

 

「帰りたい」と訴える人は、施設ではそう珍しい話ではありませんが、妙子さんの場合は昼夜を問わず眠たそうな表情でふらふらと歩いて、何度も転倒を繰り返してしまいました。

 

そのような状況となった事で家族の期待を裏切り、職員の考えが退所してもらおうとする主張と早く慣れてもらって継続できるようにしようという主張の2つに別れ、調整に悩みました。

 

時間の経過とともに状況は少しずつ好転し、継続できるようにしようという主張がやや有利になってきたように思います。

 

いろりで仲良く懇親会

 5月19日(土曜日)Pm5時、常陸大宮市上桧沢にある「やきやしんたく」(囲炉裏焼き)で、ひよりが6名ゆたかな郷が5名の参加者で飲食を楽しみながら親しみと関係性を深めることができました。

 

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 ゆたかな郷の4人スタッフは各自車で、ひよりに集合してから、ひよりスタッフと一緒に会場に移動しました。
ゆたかな郷の管理者は、けっこうな、おひよりなので、革ジャンを着て愛車のドラックスター400ccで来る予定でしたが、急遽気が変わって車に乗り換え少し遅れて到着しました。

 

ひよりでは何度も利用している店ですが、ゆたかな郷のスタッフは初めてで、かやぶき屋根や囲炉裏の金網の上で食材を焼いて食べることに感心していました。

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 この日の2,000円コースメニューは次の通りでした。
・ホタテ(金網で焼くものと刺身、どちらもありました)
・鶏肉
・野菜(ナス、ピーマン、しいたけ、かぼちゃ、さつまいも)
・串焼き(アスパラベーコン、トマトベーコン、厚揚げ)
・お蕎麦or焼きおにぎり

 

 始まりは、2つの囲炉裏に分かれて座っていましたが、時間が経過すると互いに移動して、仕事やプライベートの話題を通し有意義な時間を過ごすことができました。

 

*今回利用したお店紹介

やきやしんたく
〒319-2511 茨城県常陸大宮市上桧沢1982

yakiya-shintaku-hp.jimdo.com

 

*ゆたかな郷
社会福祉法人豊潤会
小規模多機能・グループホーム ゆたかな郷

www.houjyunkai.or.jp

 

介護スタッフの家庭ドラマ その4

旦那と酒と肝硬変

 

 香奈子さんは、バツイチで3人の娘がいます。現在は、内縁の旦那と3女の3人で暮らしています。
 香奈子さんが現在の旦那と暮らすことを決めたのは、今から10年前です。子供をかわいがってくれたことと、子どもたちも受け入れてくれたこと、そして生活費の不安があったので一緒に暮らすことを決めました。


旦那の病は、肝硬変


 トラックの運転手をやっていた旦那は、約6年前ころから疲労感や体のだるさを訴えるようになったので近くの病院で検査を受けました。検査の結果、肝硬変と診断されました。そして医師からは、「そのまま、お酒を飲み続けていると5年の命ですよ。」と告げられました。

 

5年後


 5年が過ぎたころから尿が出にくくなり、お腹がポッコリと出っ張ってきて苦しさや不眠を訴えるようになりました。入院中は、お酒は止めて治療することで回復するのですが、少し良くなると自分で退院を決めて自宅に戻り、また飲酒生活を始めてしまいます。そのため入退院の繰り返しとなり最近は、退院から入院までの間隔が短くなっています。

 

困窮の日々 


 一番に辛い思い、苦しい思いをしているのは旦那なのは分かっているので、「入院費って結構バカにならない金額なのよ・・・」などと言ってこれ以上、心配をかけることが出来ないようです。
 同居している3女(17歳)が電気代を払ってくれるのが嬉しく思う反面、旦那の収入がなくなっていることが気がかりとなっていました。

 

香奈子さん談


 旦那が自宅で療養していると、朝になって急に「病院へ連れて行ってくれ」と言われたり、仕事中に「救急車で病院に行きました!」などと連絡が入ったことがあるので、常に心配があります。

 

 月に5~6回は、夜勤をやっていましたが旦那の急変で何度も夜勤を変わってもらうことや急に欠勤したことがあるので、つい夜勤の回数を少なくするよりありません。そうするとまた月の収入が減ってしまうことになります。
 旦那にかかわりを多くすると収入が少なくなり、仕事にかかわりを多くすると旦那を診ない罪悪感が多くなるのです。

 

旦那からの電話


 入院中も旦那から職場に電話がかかってきます。内容は、「リップが欲しい」「飴を買って来て欲しい」などです。それも職場の人に話して「香奈子さんに伝えて欲しい」というのです。香奈子さんは「もうイヤになっちゃう!」と言っています。


生命保険で一息


 旦那は、病気の発症前に生命保険に入っていてくれました。そのおかげで入院費や生活費も支払うことが出来たそうです。とはいっても、病気が長引くとそうも行かなくなってきそうです。

 

香奈子さんの叫び!


悩んでいても仕方ない「前進あるのみ!」
有給休暇がもらえるまで「旦那に頑張って欲しい!」
自分はもっと「強くなる!」

 

いつの日か、そんな日々もあったね・・・と言える日が来るでしょう!

介護スタッフの家庭ドラマ その3

1型糖尿病と家族関係

 

 1型糖尿病のマコさんは、体内のリンパ球が誤って膵臓の細胞を破壊してしまうため膵臓インスリンの生産をすることができなくなりました。

 

 そのため体は、疲れやすく、のどが渇き、頻尿となり体重が減少するという症状が出ます。

 

 1型糖尿病のマコさんが生きて行くには、カロリーを制限し、薬物療法を続けなければならないのです。

 

すなわち、インスリンを注射して血糖値をコントロールするのです。

 

 そのためには、毎食前に異なるインスリンと分量を自分で用意し注射しなければならないのです。

 

 もし、このインスリン注射を怠ると高血糖からケトアシドーシスという症状を発症してしまい、自分の力だけでは身動きすることも呼吸することもできなくなってしまうのです。


困惑の日々

 

 マコさんが1型糖尿病だと診断されたのは、19歳になった年の7月でした。

 

 当時、マコさんは短大へ進学したばかりでした。入学する少し前から糖尿病の自覚症状(疲れやすい、異常にのどが渇く、頻尿、体重の減少)が出ており、まともに学校に通えない日々が続いていました。

 

 母の勧めで病院を受診したマコさんは緊急入院となり、そこで初めて自分が糖尿病だという事を知りました。

 

 確かに甘いものは大好きだし、よく食べるし、ほとんど毎日外食で暴飲暴食の生活を繰り返していたから糖尿病になっても仕方ないかな……、そう思っていたのですが担当医の先生から告げられたのは「1型糖尿病」という病名でした。

 

1型糖尿病とは?

 

 1型糖尿病は、主に自己免疫によっておこる病気です。自分の体のリンパ球があやまって内乱を起こし、自分自身のインスリン工場、膵臓のランゲルハンス島B細胞、の大部分を破壊してしまうことで発病します。

(引用:1型糖尿病とは | 日本IDDMネットワーク 1型糖尿病・1型IDDM

 

 インスリンがほとんど出なくなってしまうこの病気は“一生治りません”。また、生涯インスリン注射が欠かせなくなります。


 このインスリン注射というのは、自分で注射をする薬ですが、これが厄介なことに毎食前に打たなければなりません。その他にも、マコさんの場合は、朝と就寝前にもう一本違うインスリンを打つことが必須となりました。

 

診断から2年後

 

 21歳になったマコさんは大学を辞め、職に就き、お金も自由に使えるようになったため、よく外出をするようになっていました。

 

 マコさんには他にも悩みがありました。三世代家族でマコさんは、孫の位置にあたりますが、特に、祖母との関係が悪かったそうです。祖母と母の関係も悪いので、その影響があったのかもしれませんが、祖母と母が言い合っているところを見るのも聞くのも嫌だったそうです。

 

 家に居ることが苦痛で仕方がなかったマコさんは、毎日仕事が終わると家には帰らず、22時頃まで隣町のインターネットカフェに行って過ごすようになりました。

 

 当然、食事は外食になりますし、その頃はインスリン注射を打つことも億劫になっていました。本当は、食前に打たないといけないものを食べた後に打ったり、少量の食事を摂った時は、インスリンを打たずにいました。

 

 そんな生活を送っていたことで、ある日ついに高血糖からケトアシドーシスという症状を発症してしまい、友人との旅行中に救急車で緊急搬送されるという事態を起こしてしまいました。

 

 この事で反省したマコさんは、今後は高血糖にならないよう努力するぞ!と意気込んだのもつかの間。翌年、またケトアシドーシスで緊急搬送されてしまうことになってしまいました。

 

更に、その半年後にもまた旅行中に同じ症状で倒れ、今度は、ドクターヘリで緊急搬送されたのです。

 

 自己管理が甘かったせいで3度も緊急搬送されたマコさんは、「どうして同じことを繰り返してしまうのか」、その理由を探るためソーシャルワーカーとの面談を勧められました。

 

そして、M病院のソーシャルワーカーと出会いました。


隠れた理由

 

 入院中、2人きりの部屋でソーシャルワーカーと話をしたマコさんは、「なぜインスリン注射の治療を処方通りにできずに高血糖を繰り返してしまうのか」の理由をようやく理解しました。

 

 マコさんは、その時の思いを次のように述べています。

 

 家族関係が悪いことで私は、家族との衝突が絶えませんでした。衝突の度に嫌な思いをしては、また家出のように外出をしました。そこで必然的に外食での暴飲暴食を繰り返してしまい、不満や失望などが原因で、やけになって自分の身を粗末に扱うようになってインスリン注射を処方通りにできなくなってしまいました。
結果ケトアシドーシスで緊急搬送されるほど体調を崩してしまったように思います。

 

 「自分の事なのにずっと気付かなかったのか」と言われれば確かにその通りですが、そのソーシャルワーカーと話をする中で自分の生活や家庭事情を打ち明けるまでは、本当にその理由に気付かなかったのでした。


3週間の安静

 

 ようやく理由がわかったマコさんは、家族の中で唯一頼りにできる母と相談し、「昔、家族で住んでいた古い家があるので、そこを住まいとして、当面は、なるべく家族との接触を避ける」というような解決策を考えました。

 

 主治医からは、「3週間の安静が必要です。」と言われて退院しました。

 

 現在は、古い家で半ばひとり暮らしのように自由気ままに生活しているマコさんは、血糖値をきちんと毎日測り、インスリン注射で血糖コントロールができるようになりました。そして、社会との関わりを少しづつ広げていきたいと考えるようになりました。

介護スタッフの家庭ドラマ その2

網戸の向こうは、近所のおばちゃん

 

 ヘルパーのミキさんは、仕事を終えると家に帰り家族6人の夕食の用意をします。
会議で遅くなる時などは、出前を手配する、あるいはいったん家に帰り夕食の用意をしてから会議に参加しています。

 

 先日もいつものように、いったん家に帰り夕食の用意をしてから会議に参加しようとしてハンバーグを焼いていました。

 

 すると、隣の部屋から夫の父親(難聴)が「帰りが遅くなるなら、夕食の用意をしておかないとだめだぞー!」というのです。

 

 (# ゚Д゚)⚡⚡⚡⚡⚡ がー⤴ん とショックを受けたミキさんは、ガスの火を止めて「いつだって!夕食作ってるでしょうよ!!」「この家では、私以外に作る人いないでしょうよー!」「今まで夕飯用意しないで出かけたことないでしょーよ!!」と言い返してしまいました。

 

 ヘルパーのミキさんは、早く作って仕事に戻らなければと焦っていたようです。

 

 その時、近所のおばちゃんがいつの間にか庭に立っていて、網戸の向こうでしっかり聞いていました。(おばちゃん キョトーン!)

 

 おばちゃんが立っていることに気づいたヘルパーのミキさんは、網戸を開けて「こんにちはー」と声をかけたが、おばちゃんは聞こえないふりをしていました。

 

 翌日、夫の父親は下痢をしていました。どうも、夕食に用意したハンバーグが半焼けだったようです。

 

 幸い他の家族は、ハンバーグの中身が赤いのに気づいたので、レンジで調理し直して食べたので大丈夫でした。

 

         なか(仲・中) 悪い
           嫁の作った ハンバーグ
          レンジ(工夫) 一つで 
                なか も良くなる

介護スタッフの家庭での洗濯負担の軽減

早番は出勤前が忙しい

 

 ひよりの介護スタッフは全部で13人、その内の11人は女性です。子育てをしながら仕事をする女性にとって負担に思う事の一つに家庭の洗濯物が挙げられます。特に早番(7時勤)を担当する時には、家族の朝食を用意して後片付けをして、洗濯物を干してから出勤することがとても難しくなります。

 

 家族で仕事を分担するという考え方自体は良い傾向だと思いますが、見落とされがちなのが女性の家庭での洗濯物の負担です。

 

防犯カメラに写る洗濯物

 

 ある日、僕が防犯カメラの映像をチェックしていた時の事です。

 

 施設内にイノシシでも侵入していないかと数日前からの映像を見ていると、一台の軽ワゴン車が玄関前に来ました。運転席から降りてきた人は、反対側のドアを開け何かが入ったカゴを持ち込んでいました。

 

 何度か映像をリピートし、静止したところの画像をプリントして、スタッフに確認してみました。

 

 すると、スタッフ本人は「ホーム長、朝は忙しいのです。お弁当を作って、朝ごはんを作って、食器を洗って、お風呂を洗って、洗濯をして、干す時間がないのです」と言い訳をしました。

 

 そこで、僕はこの状況で介護スタッフのレベルを3つの段階に分けられると考えました。

 

 Aレベルは申し訳なさそうな態度と言葉で、施設の器具・備品等を個人の用事で使った事を「すみませんでした」と素直に詫びる。

 Bレベルは申し訳なさそうに黙って下を向いている。

 Cレベルは「私は忙しい思いをして家事をしてから出勤して、空いている洗濯機を使い洗濯して、何が悪いのですか」という顔つきでいる。

 

 どうも、このスタッフは言い訳をした後に申し訳なさそうに黙っていたので、Bレベルだと見ました。

 

女性スタッフの思い

 

 この洗濯について他の介護スタッフの意見を聞いてみたところ、「洗濯させてもらえるなら私も洗濯させてもらいたい」という人が3人いました。

 更に、洗濯しない女性のスタッフからも「洗濯ができるようにしてもらえると子育て中の女性スタッフにとっては良いと思います」という意見がありました。


 対策として、施設の洗濯機が空いている午前10時ごろまでに施設の洗濯機を使用しても良いということ、洗濯用洗剤は各自用意すること。更に帰りまでに洗濯物を取り込み利用者と一緒にたたんでもらうことを許可することにしました。

 

 そのことによって女性の働きやすい(続けやすい)職場となり、家族的な雰囲気の施設として更に促進されていく可能性が見えてきました。

小さいけど根っこを広げる取り組み

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 当施設は、茨城県北西部に位置する人口約4万2千人の常陸大宮市にあります。高齢者率は、全国や茨城県平均と比べても高く30%を超えており、高齢化が進展している地域です。


 しかし、当施設では利用者の確保に苦労しています。その背景には、人口に対する施設の割り合いが非常に高く、有料老人ホーム・介護施設が23ヵ所、デイサービスは11ヵ所あり、さらに高齢者の多くは国民年金で生活をしている現状があるからです。

 

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地域高齢者の声から始めた「ひより食堂」

 

 当施設の職員が地域の高齢者の家庭を訪問した時のことです。「野菜はあるが肉・魚がない」、「食べに行く店が近くにない」、「1人では、お店に食べに行きづらい」、「食材を買いに行きたくても店が遠い」など、食事に関する多くの訴えがありました。


 そこで、当施設の中で食堂をオープンし、地域の高齢者の方々に利用してもらおうと考えました。食事に関するサービスとして思い浮かぶのは配色サービスですが、この地域に必要なのサービスを考えた時、食材の買い出しや調理が困難な高齢者の方に送迎サービスを行ってひよりに来所してもらい、栄養バランスの取れた食事を供給することも大事であると思ったのです。

 

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ひより食堂の目的と方法

 

【目的】
 全職員が同じ方向を向いてサービス提供できるよう目的を決めました。それは、送迎サービスを行ってひよりに来所してもらい、栄養バランスの取れた食事を提供することにより健康の維持・向上を図るとともに、普段の食生活の見直しや、食育の重要性を周知することで、自立生活の継続および介護予防などを支援する事です。

【対象者の決定】
 利用対象者は、疾病等の理由により見守りが必要で、自力での調理が困難な次のような高齢者です。
・肉や魚の摂取量が少ない
・1人では、お店に食べに行きづらい
・食材を買いに行きたくても店が遠い
・その他、食事を希望する人

【運営方法】
 ひより食堂の運営は次のようにしました。
・サービスの提供は毎週土曜日
・送迎サービスにより昼食を提供(利用料金400円)
・デイルームを使用
・希望により健康チェックを実施

 

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ひより食堂をとおしての喜びや気づき

 

 ひより食堂を活かしてサービスの質を向上させていくには、食事に来ていただく利用者の方々との会話をとおし、当施設の職員個々が喜びや気づきを持ち続けていくことが大切だと思います。オープンから約2年、ここに挙げきれないほどの多くの喜びを得ました。


 以下は、その一例です。


・親にデイサービスに行ってほしいけれど、いやだと言っているので、まずは食堂に行こうと誘うことができるので行きやすい
・ひより周辺の高齢者と会話ができてよい
・独居の高齢者は1人で寂しいけれど、ここに来ると話し相手がいるので楽しい
・大勢で食べると食欲も出るし、おいしい


 またその反面、「ひより食堂に行くとデイサービスを利用しなければならないと思うので、行きにくい」という意見もあり、地域高齢者の声から始めたサービスではありましたが、利用される方の良い意見だけではなく、マイナスの意見があることにも気づけ、今後の課題も見つかりました。

 

 

産労総合研究所「看護のチカラ」2016年5月15号掲載(一部改変)